江戸時代に織物で栄えていた甲斐絹の産地として古くから開け裕福だった谷村や吉田を通り、三坂を超えて甲府入りする。北斎は、 御坂峠から見た河口湖の水面に姿を映した「逆さ富士」を描いている。ことに、陽春、桃の季節、風の無い静かな日には、よくこの「逆さ富士」がみられるという。昔の甲州は甲州猿といって山国であった。山々を越えて黒駒までくると、土地は平坦になる。峽客、「黒駒の勝蔵」の名と、甲州の山々に「のろし台」、つまり軍事的速報の跡が、ところどころに残っている。